PMCF

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PMCF(正式名称:東諸島共和国連合;理:Pyjen Menisss chafi'ofes fantas・PMCF;藍:Akiama sauir sakika mapijumi)とは、アイル共和国、ヴェフィス共和国、リナエスト・オルス共和国の3つの加盟国からなる国家群(国家連合体)である[1]

名称

東諸島共和国連合ではピリフィアー暦2003年の自治体決議第111号によって連合公用語として東島通商語と呼ばれる言語を用いることを決定している[2]。それだけではなく、連邦公用語という別の地位としてリパライン語を採用しており、他にもそれぞれの国の公用語を重視し、広報や文書翻訳に採用している。このため東諸島共和国連合の名称は各言語で多数存在しているが、一般的にリパライン語の名称の省略PMCF(Pyjen Menisss chafi'ofes fantas)で呼ばれることが多い。その他の名称は以下のものがある。

  • Pijenleti menic cetleti paccamel

(東島通商語)

  • 日来島集(kia1 sak2 dop1 dat2)

(パイグ語)

  • Akiama sauir sakika dop'iai

(アイル語)

  • 日来島集きゃざくどんだつ

(タカン語)

  • Ákíjamán dhoḷopáná ṣibhaiomá dhárad

(バート語)

  • Baj mapijumi leitauniija buukiija sau iwa sakika

(アイラニーヤ語)

  • Paifeanicha meinecheit jous fasilchalaut

(ヴェフィス語)

  • L'hankas ichado halaliedo de mieniechiedo pien

(ブルミエント・チャウデ語)

  • Ülévysäc minïsgäc alátä

(リナエスト語)

歴史

ピリフィアー暦2000年に始まったエルフ熱パンデミックによる被害によって地上に残った一部の人間のうち、旧ラネーメ王朝の贅品庁と呼ばれていた諸島部に移り住んだのが始まりである。2000年後半に成立したヴェフィス暫定政府は2001年2月18日に白色クーデターが発生し、2002年3月12日にヴェフィス共和国が成立したのを皮切りに、アイル共和国が3月15日、リナエスト・オルス共和国が4月21日に成立した[3]
これらの政府はお互いの主権を認めあった上で、モンスターによる安全保障上の問題や政治的連合を目指して2002年○月○日にPMCFを発足させた。リナエスト・オルス共和国ズィンシュヒウに連合中央議会を設置し、初代連合議長をリナエスト人であるリアシェン・L・K・アリュースが務めた。以降、「政のリナエスト・武のヴェフィス・文のアイル」と呼ばれる共和体制が保たれることになる。
2003年12月に政府関係者六名、陸軍護衛要員などを載せた護衛戦闘機、爆撃機などがユエスレオネ連邦から送られた。連邦側は連邦に加盟するよう打診したが、アリュース議長率いるPMCF側はユエスレオネによる影響力でそれぞれの共和国の主権が脅かされることを恐れこれを拒否し、相互不可侵条約を結んだ上で国交を結ぶことになった。これはそれ以降、PMCFがユエスレオネ連邦に対して中立的立場を保つ外交伝統の元となった。
2004年にターフ・ヴィール・イェスカによる『革命序説』やアイン・シャント・ミナミラハ・リーツェによる『イェスカのために』が紹介され、連邦政治難民がPMCFに流入するようになると悠里世界の学生運動の高まりと共に新左翼の時代が始まる。2005年にはアイル共和国でヴェルガナ・トゥワイ・ズュザによる度重なる弾圧に抗して10月8日事件が発生、アイル共和国内戦が勃発することになった。
2006年、ヴェフィス共和国はこのような状況に危機感を覚え、文化省長官ゲルディア・ド・エスタイティエが主導するヴェフィス共同体を発足し文化経済影響圏拡大を目指そうとした。また、新左翼の流行による態度の軟化によりPMCFは連邦影響圏であるユエスレオネ連邦、ハタ王国などと国家法務通訳者相互呼び出し条約を締結した。


2010年から始まるデュイン・アレス独立戦争ではPMCFは従来の外交伝統を墨守し、中立の立場を取った。2011年にはラネーメ国マイヌシュ・ヴェフィサイト州がヴェフィス共同体に加盟することによってヴェフィス共和国による影響力の拡大に緊張度が高まることになった。
2013年8月、イスケ紛争が勃発。2014年11月25日にリナエスト・オルス共和国政府がテロ組織であるILO(イスケ・リナエスト・オルス)に接近したことで緊張が高まり、LO幹部であるユージュニエ・アレスとドホジエ・アレスの亡命を受け入れたことにより、ユエスレオネの引き渡し要求を拒否した。これによってPMCFは中立性の原則を保てなくなったことにより、リナエスト・オルス共和国を除名した。同時にリナエスト・オルス共和国はユエスレオネ連邦に接近し、サニス条約機構の一員となった。 2014年2月、ユエスレオネ連邦はリナエスト・オルス共和国にILO関係者の引き渡しを再度要求するがリナエスト政府がこれを退けたことによって軍事介入する。同時に国内の反ILO勢力とILO、反連邦派と政府軍・親連邦派による紛争が激化し、リナエスト内戦が勃発する。リナエスト内戦は同年4月21日に終結し、民議機関リナエスト政府機構が成立。リナエストが一方的にサニス条約を破棄する形でPMCFに再加盟した。しかし、ユエスレオネ連邦はリナエスト・オルス共和国をサニス条約圏であると認識しており、双方の主張はずれたまま放置されている。

外部リンク

参考文献

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